第2回MEET UP EVENTS「新しいはたらき方×ウェルビーイング」をレポート!
「FUTURE GATEWAY」と「HiPro(ハイプロ)」の共催で、これからのはたらき方とライフスタイルをテーマにスタートした「MEET UP EVENTS~新しいはたらき方×これからのライフスタイル~」。
活発なディスカッションが繰り広げられ、マルチステージ時代を生きるためのヒントや気づきに満ち溢れた第1回(第1回レポートのURLをリンク)に続き、第2回が3月16日に開催。
今回も、新時代において多様なワークスタイル・ライフスタイルを実践している方々がゲストスピーカーとして登場。先進的な発想やアイデアがたくさん披露されました。
農ある暮らしから広がる無限の可能性
パーソルキャリアのプロフェッショナル人材の総合活用支援サービス「HiPro(ハイプロ)」とKDDI総合研究所/KDDI research atelierが推進する共創イニシアチブ「FUTURE GATEWAY」が、「新しいはたらき方×これからのライフスタイル」をテーマにした「MEET UP EVENTS」の第2回目(全3回)を開催。
今回は、農ある暮らし実践アドバイザーの石原伊佐雄さん、マインドフルネスコンパッションヨガティーチャーの田中温子さん、ビジネスデザイナーの後藤健太さんが登壇。
『「新しいはたらき方」×「ウェルビーイング」~農ある暮らしからマインドフルネスなど、QOLの向上につながるこれからのライフスタイル~』と題して、パネルディスカッションが展開されました。
「皆さんは『人生100年時代』と聞いてなにを想像するでしょうか?厚生労働省によると2024年には女性は89歳、男性は83歳まで生きるといわれています。また、海外の研究では2007年に日本で生まれた子どもの約半数がなんと107歳より長く生きるという発表がありました。これによって、はたらき方やライフスタイルが変わっていくというのは容易に想像でき、これからはマルチステージモデルという生き方に変わるといわれています。例えば20歳で学校を卒業して会社員として就職すると同時に、副業を始める。60歳で引退ではなく、そこから学び直しをしてフリーランスとして独立するなど、従来のステージの概念や年齢に関係なく、多様なはたらき方が進んでいくでしょう。ただ、そのマルチステージモデルにはまだロールモデルがありません。このイベントではそこを深堀っていき、これからのはたらき方とライフスタイルの参考にしてもらえれば幸いです」と、パーソルキャリア・タレントシェアリング事業部の吉原貴子さんが、このイベントの目的をオープニングで説明。
続いて、KDDI総合研究所/FUTURE GATEWAY事務局の田名部浩美より、「FUTURE GATEWAY」で進行中のプロジェクトとして、サウナの効用を可視化し移動式のコンディショニング環境の構築を推進する「Hoppin’Sauna」や、気候変動に配慮した食生活の一般化を目指す「クライマタリアン」の取り組みを紹介。そして今回のテーマ「農ある暮らし」と関連したプロジェクト「Farm to Park」について、プロジェクトリーダー瀬戸山 匠さんより動画にてプロジェクトの概要や目的、活動内容などが紹介されました。
同プロジェクトの考え方や取り組みには、ゲストの3人も共感を示し、石原さんは「Farm to Parkに似ている活動を、私も埼玉北部でしています」とコメント。
「子どもにアレルギーがあったこともあり、食にすごく興味を持つようになりました。まずは自分で畑を借りて家庭菜園から始めたのですが、やがて『お米を作れないかな』と思うようになって。でも田んぼを貸してくれるところがなかなかなくて」と、農に触れるようになったきっかけを話す石原さん。
そのようなときに持続可能な社会や暮らしを提唱する埼玉県羽生市のNPO法人「雨読晴耕村舎」の家庭稲作講座を見つけ、同講座に参加したことを契機に本格的に農のある暮らしにシフトいきます。
「不耕起で、化石燃料などを使わない田んぼを約2畝つくっています。稲刈りも手作業でやり、できるだけ(人工的な)エネルギーを使わないように」と、田んぼへのこだわりを語る石原さん。やがて稲作から派生して麦作もするようになり、前出のNPOのスタッフとして麦作の講座も手掛けるように。種まきから麦踏み、収穫、小麦やライ麦を使ったパンや焼き菓子、ヒンメリづくりなどが学べる講座は「人気で、すぐに定員が埋まってしまいます」と石原さんは目を細めます。
埼玉県羽生市は耕作放棄地や空き家の増加問題はあるものの、移住希望者も増えてきており、そのマッチング活動にも注力していきたいという石原さん
「週休3日制」はかなう!
「田んぼを借りて、NPOのスタッフとして参加し続けていくうちにいろいろな人と知り合いになる。その中で『僕らの集会所』という有志のグループが出来て、またそこで違うチャレンジを始める。そしてまたその中から共感者が増えたり、同じような志を持った人が集まって、また別の団体ができて、また広がって」と、田んぼから始まった多くの繋がりを紹介する石原さん。
そしてこの活動とライフスタイルは、週2日の休みでは賄えないと感じた石原さんは、当時勤めていた会社に「週休3日」を直訴。しかしそこではかなわず、石原さんは57歳にして会社を辞職。週休3日が認可される企業に転職を果たします。
「サラリーは減りましたが、それに代えがたい精神的余裕をすごく感じて。仕事も活動も生産性が上がったことを実感しました」。
その充実感を約2年間享受した石原さんは、さらにその後フリーランスに転身します。
今はNPOや有志の団体での活動により注力する石原さん。地域特有のからっ風からの影響を防ぐべく埼玉北部に点在する屋敷林を整美する活動や、「麦麦クラブ」という団体を立ち上げ、麦を用いた麺類などを提供するランチを始めたり、廃棄された太陽光パネルをリユースして安価で家庭に取り付ける事業などを行っています。
石原さんの活動の拡張を後押ししたのは、やはり「週休3日制」。
その効果を実体験してきた石原さんは、登壇の最後にも「週休3日制は生産性を上げます。週休3日制は実現できます!」と、力強く提唱しました。
「いかにフルリモート、フルフレックスであっても、やはりオンとオフはある。週休3日になると一気にやれることが広がる」と石原さん
小さな花が咲いていることに気づけるように
「愛と勇気と元気を与えられるおばあちゃんになりたい」。
そのために「透明感と存在感を合わせ持った温かな人でありたい」。そんな指針を自らの「ビーイング(Being)」にしているという田中さん。
そして「『ドゥーイング(Doing)』、なにをするか、自分が何をして生きていくか、ですが、『心・食・住』を自らに掲げ、人々が幸せに生きるために何かしらの形で貢献をしていきたいと思っています」。
そうまっすぐな視線で話す田中さん。しかし、このマインドにたどり着いたのはついこの1~2年だそう。
「それまでは本当に流されるように生きてきました。当時は会社勤めをしていて、そのときもはたらきがいを持ってはたらいてはいましたが、来るボールをとにかく打ち返すような日々でした。ストレスフルで、毎日が灰色のような中、『マインドフルネスというのがあるよ』と教えてもらって」と、マインドフルネスとの出合いを語る田中さん。
「見よう見まねでやってみたらわりと早くに効果が出て。すると、すごく小さな幸せに気づけるようになったんです。例えば、通勤途中に花壇があるのですが、それまではそこの花が咲くことにすら気づいてなかった。そういう小さなことに気づけるようになったら、『人生ってこんなにカラフルなんだ』と思えるようになりました」。
以来、マインドフルネスのコミュニティの運営している田中さん。
「マインドフルネスは『=リラックス』のようなイメージがあるかもしれませんが、心や脳の筋トレともいわれているので、1人で継続するのはけっこう大変なんです。なので仲間集めとしてFacebookのグループをつくってヨガをしたり、ジャーナリングをやったり瞑想をやったり」と、マインドフルネスを広めることをライフスタイルの一環にしている田中さん。自身のコミュニティだけでなく、プロボノでマインドフルネスの団体の運営メンバーも務めているそう。
学ぶことも田中さんのライフスタイルにとって大事なことの1つ。
「経営大学院に通う傍らで、MBSR(マインドフルネスの伝統的な技法)の講師養成講座も取っています。いずれはライフスタイルに取り込んでいるマインドフルネスをワークスタイルのほうにも取り込んでいければと思います」と、田中さんのマインドフルネスへの追求は尽きることがありません。
「学校ではいろいろな世代の人や価値観との出合いがあって、ここに行っていなかったらマインドフルネスとの出合いもなかったかもしれないですし、家族と向き合い、家業を継ぐ選択もしてなかったかもしれません」。
そう振り返る田中さんの実家の家業は農家。
かつては、「誰が継ぐんだろう?と思いながら、逃げ回っていた」という田中さん。しかし、その思いもマインドフルネスとの出合いとともに変化していきます。
「元々やる気はなかったんですけど、『自分の生き方の中に取り込める』と思えるようになってきて。やってみたらこれが楽しくて(笑)。小さなテントで農作物の販売をしているのですが、ここで生まれる地域の人との交流が尊くて。ここで出会ったおばあちゃんが生きる希望をもう一度持ち出してくれたりもしました」。
これが田中さんの掲げる「心・食・住」のうちの「食」。
自分が食べていくための生業であること、そして文字通り食物をつくり、提供することにも紐づいているのでしょう。
青森県で草餅店を営む桑田ミサオさんを、理想の生き方のロールモデルとして紹介する田中さん
「心・食・住」
「『住』は、文字通り不動産賃貸業も父から継いでやっていて、農業よりもこれこそやらなければいけない仕事、“ライスワーク”として割り切ってやっていたのですが、これもだんだん自分の想いを込められるようになってきました。当たり前に住む、屋根のある場所で寝れることは、じつはすごく難しく、奇跡的なことなんじゃないかと思っていて。特に高齢の方だったり、障害を持つ方など、住居を持つことに難しさを抱えている方々に安心して暮らしていけるような事業を展開していきたいと思っています」。
今後は、自身の環境や家業を活かしつつ、地域に根差したコミュニティカフェをつくりたいという田中さん。
「やっぱり居場所を必要としている人はすごく多いんだなと感じています。老若男女問わず地域の方々が集まれて、“地域の血が通う”ような場所づくりをしていきたいですね。空き家や使われていない蔵などを活用して、食を通じたフードドライブや子ども食堂などもできたらいいですね」。
その田中さんのビジョンは、自身の「心・食・住」の「心」と「食」にも繋がっているそうです。
また、「心」の面では、キャリアメンターとしての活動も軸にもなっているといいます。
「企業にお勤めの方に、社外メンターとして1on1のメンタリングをさせていただくお仕事をフリーランスでしています。私、人が行動変容を起こす瞬間がとても好きで。行動変容を起こすことは、すごく勇気が必要だったり、その一歩を踏み出すのは大変なことなんですけど、その瞬間に一緒にいられることが私の喜びであり、私がはたらくうえでの糧にもなっています」。と、自分が副業を始めるときは、人々のポジティブな行動変容を支援する仕事を選びたかったという田中さん。
自身の中で紡がれていく考え方やマインド形成が、すべての行動に還元されていく田中さん。
第一声で述べた「人々が幸せに生きるために何かしらの形で貢献をしていきたい」という想いも、自身が実践する「新しいライフスタイル」と「新しいはたらき方」によって、同時に実践させているのだと感じました。
マインドフルネスを実践してから「死ぬこと以外すべてが擦り傷と思える精神的余裕が生まれ、物事の捉え方が変わった」という田中さん
時代の変化に沿って自分を変化させていく
後藤さんは、マルチステージ時代における“生き方の選択肢”をすでにいくつも持っていると思わせるほどのバイタリティに満ちたビジネスデザイナー。
学生時代のアルバイト先の地中海料理レストランで料理の道に目覚め、大学院を卒業するころにはそのお店のオーナシェフから事業継承を打診されます。しかし当時まだ経営学の知見がなかった後藤さんは、その申し入れをやむなく辞退します。
このことを契機に「飲食ビジネスを極めたい」と思うようになった後藤さんは、その後就職した外食産業が経営する飲食店の店長と料理長を兼務しながら飲食ビジネスの研鑽を積みます。
そのときの経験を生かして、経営コンサルティング会社に転職。特に飲食店のコンサルティングを得手として、当時リーマンショックの影響下で増加した倒産寸前の外食産業や飲食店を支援。加えて、「閉店に追い込まれたお店をM&Aするために、社内でM&Aの子会社も立ち上げていました」と言います。
ここまで簡略に列記しただけでも、後藤さんがいかに能動的に経験・スキルを積み、実行する力があることがうかがえます。
「ただ、2008年のリーマンショックで、私の勤めていたコンサルファームも倒産することになりました。この時に『終身雇用というのは崩壊したな』と。自立が重要だな、と思うようになりました」。
さらに、2011年の東日本大震災も経験することで、依存せず、雇われない生き方をより志すようになり、2012年に新規事業支援会社を起業します。
「2011年ごろは地元(茨城県)のほうでも農家のコンサルティングをしていたのですが、大震災が起きたとき農家さんたちと復興支援や炊き出しをしたんですね。農家という特性もあるのですが、こうやって自分たちで食糧を賄えたり、助け合えるのって非常に重要だなと感じました。阪神淡路大震災のときもそうなのですが、助けられた人の8割は消防隊員や自衛隊員に助けられたわけではなく、地域のコミュニティ、ご近所の人に助けられたらしいです」。
このときの経験が、後藤さんが農の世界やコミュニティづくりに触手していく大きなきっかけとなります。
さらに2020年には新型コロナウィルスの感染拡大が世界中に訪れます。
「コロナによって、これからはダイナミックケーパビリティが肝要だなと思いました。時代の変化に沿って自分を変化させていくことが大事だなと」。
その後、コロナ禍に伴う世の中の急速なデジタルシフトにより、テレワークや副業が普及したことで、後藤さんは社長業と従業員の兼業に挑戦することに。現在は自社の経営の傍ら、大手デジタル企業傘下のDX支援会社でプロジェクトマネージャーを務めます。
「勤め人から起業家に転身したことで自分自身のマインドが変わり、言い訳をしたり他人のせいにしなくなった。そして付き合う人の層もまったく変わりました」と後藤さん
“ビフォーシックス”を有効活用する
「こうやって世の中が、そして自分もデジタルシフトしていく中で、その反動じゃないですけど畑作業のようなアナログチックなこと、武道のようなアナクロチックなことを深めていくようになります。この両極端の在り方というのが自分の中でバランサーになって、自分らしさとか本性、原点のようなものを追求していきたいと思うようになりました」。
幼少期から空手、剣道と修習してきた武道を、今は居合という形で極めている後藤さんの下には、世界中に弟子がいるそうです。
さらに住まいでもある東京・八王子では3つの畑を耕作し、年間100品目を栽培。ただ、販売することはせず、あくまで自給用とのこと。
「都市と地方の中間地帯でもある八王子が位置する多摩エリアには、里山も多く残っており、地域の地主の方から里山の管理も任されています」。
「半農半X」という言葉にも収まり切らなそうな、後藤さんのライフスタイルとワークスタイル。
いったい、どのような時間軸で日々を過ごしているのでしょうか?
「毎朝4時に起きて、まず自社の仕事をします。そして5時に家族の朝ご飯をつくって、朝6時半に野良仕事をスタートします。ちなみに、家族のご飯はすべて私がつくります。元々シェフですからね(笑)。野菜はもちろん自分の畑で穫った無農薬の作物です。その後9時くらいに戻ってきて、兼業しているDX支援会社の仕事をリモートで始めます。その後、夜は18時には夕飯づくりを始めて、あとの時間は居合の稽古をしたり、他国の弟子にオンラインで個別レッスンしたり。そして夜21時には寝ます。なので、7時間は寝ているんです」。
とはいえ、常人には早朝からかなりの濃密スケジュールにも感じますが、「ルーティン化しているので、ぜんぜん大変じゃないです」と、後藤さんは平然と笑います。
「大事にしているのは、ビフォーシックスの有効活用。朝6時前というのは生産性が6倍になるそうです。そして、アフターシックスは自分磨き。これを徹底しています」。
後藤さんは、100年の中の10年20年単位のマルチステージではなく、もはや1日の中の1時間2時間単位でのマルチステージを軽やかに過ごしているようにも見えます。
「生産物を売るだけではなく、それをつくる過程そのものをレジャーにしたりエンターテインメント化することで収益を生むモデルを広げたい」と、アウトプットエコノミーからプロセスエコノミーへの転換を提言する後藤さん
ゲスト3人に共通しているのは、たとえ自分の専門外の分野や領域であっても、無理なく主体的に段階を経ること。自分の興味や信念に従い、ナチュラルに実践すること。そして、農的なライフスタイルには人を集める力があり、自他のQOLを向上させる力があることを信じていることだと感じました。
パネルディスカッション後には、この日の参加者から3人への質疑応答が行われました。
ここでも闊達な意見交換が交わされ、第2回の「MEET UP EVENTS」も活況を呈したまま終えました。
次回は、同イベント全3回シリーズの最終回となる、『「新しいはたらき方 × Learning Community」~ポートフォリオワーカー黎明期におけるこれからの学び~』の模様をお届けします。どうぞお楽しみに。
当日のプログラムなどを記載したMEET UP EVENTS特設ページはこちら
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