宇野景太
私のライフスタイルルール
宇野景太
FUTURE GATEWAYに参画する先進生活者「越境走者=t'runner(ランナー)」のライフスタイルの実態に迫る当シリーズ[MY RULE]。
未来社会へのライフスタイルの提唱やアクションをするt'runnerの先進性は実生活の中でいかに“ルール化”しているのか?を伺っていきます。
今回は、「茶の湯」を軸とした日本文化の新たな可能性を追求する宇野景太が登場。
FUTURE GATEWAYでは「茶の湯の見える化」による文化価値の向上と創造性のアップデートをテーマにした「Blank New Day」プロジェクトを立ち上げた宇野の“ライフスタイルルール”とは?
宇野景太(うの・けいた)/株式会社無茶苦茶代表。“Respect and Go Beyond”をミッションに日本の総合芸術としての「茶の湯」をテクノロジーやストリートカルチャーなどさまざまな領域と掛け合わせながら、日本の精神性や価値観を提起する機会や場をつくり出すアートプロデュース&アーティストマネジメント事業を展開。茶会プロデュースや空間演出、パフォーマンスやプロダクト制作など、現代的に翻訳した茶の湯文化を通して日本文化の新たな可能性を追求している。
宇野景太のパーソナルインタビュー[MY PERSPECTIVE]はコチラ
t'runner宇野景太のライフスタイルルール
- LIFESTYLE RULE.01
- お香を焚く
- LIFESTYLE RULE.02
- 手ぬぐいを常に携える
- LIFESTYLE RULE.03
- 花をいける
LIFESTYLE RULE.01
お香を焚く
朝や気分をリフレッシュしたい時にお香を焚いています。
朝の場合、起きてすぐというより、ちょっと時間が経ってから、頭の切り替えをする時に焚くことが多いです。香りを嗅ぐだけで気持ちがリフレッシュするし、リセットする感覚もあります。
時間帯だけでなく、その日の天気や自分の心持ちとか。その時々のシーンに合わせて焚くお香は変えていて、いま家には20~30種類くらいあります。
例えばこれ(DUMBO INCENSE)は日本のブランドですが、和・洋でいうと洋っぽい芳醇でリッチな香りがする。あと自分はお寺に行くことも多いので、その土地土地のお寺で買ったお香は和っぽいシンプルですっきりした香りがします。
お香に限らず「香り」自体に興味があって、実家が岐阜県の田舎のほうなのですが、田舎に帰った時に最初に鼻で深呼吸した時の、いわゆる田舎の香りみたいなのが印象的で「帰ったなー」という感覚になります。香りは五感の中で記憶や身体性感覚に直結している敏感な感覚だと思っています。
茶会の中でも香炉を焚いたり、花を床の間に飾るなど香りにまつわる文化があります。茶の湯は、人ありきのリレーショナルアートなので香り自体も人に作用します。なので、身体性を伴う部分に関して香りというテーマ自体に興味があります。茶の湯文化と香りを現代的に解釈して、さまざまな使い方や応用を考えることが今は楽しいですね。
最近は香りのアーティストと作品を作ったりもしています。
お香も花も茶会では香りが少ないものを好んで使用しますが、逆にそうでない香りという部分で日本の文化と結びついたらどんな表現や活動ができるかに興味を持っているのもあり、日々お香を焚いています。
兵庫県産のお香を焚きながら。「香りとパッケージもスタイリッシュで洗練されていているのが好きです」
お香の生産地や製作過程まではまだそこまでは拘ってはいませんが興味はあります。(1本手に取り)その香りのアーティストは「お香の聖地」ともいわれる淡路島にアトリエを構えていて、お香から作家を知ることもあれば、作家から香りを知ることもあります。なぜその香りなのかのルーツや歴史に興味があり、そこから調べて買いに行ったり、作家に会いに行くこともあります。
身体性を伴った行為の積み重ねから
先進性を見出す
Siriやアレクサのように、一声掛ければ何かが起きる技術が発達している便利な世の中になっていると思います。でもお香は、お香立てに挿してわざわざ火を点けて…と必ず身体の動きが伴いますよね。言ってしまえば不便なのかもしれませんが、この便利な世の中で逆に、一個一個「これをする」という意思決定と、自分の身体性を伴った動作、行為をすることが新鮮だと感じます。あえてアナログなことを毎日することが逆に未来だと貴重な感覚になるのではと思っています。
そういう意味では、このようなライフスタイルは必ずしもお香を焚くことでなくてもよいと思います。広い解釈にはなりますが、自分で決めたことを毎日やる、いわゆるルーティンをやるでいいのではないかなと。起床後の洗顔や歯磨きもそうですし、窓を開けて朝日を浴びるとか自分で決めて自分の身体を動かして、何かひとつ行動する。その積み重ねが大事なのではないでしょうか。僕はそれがたまたまお香であっただけで。自分の好きなこととか、これをやりたいということを意識的にやることが最初は大事だと思います。
LIFESTYLE RULE.02
手ぬぐいを常に携える
20代の頃からポケットには常に手ぬぐいを忍ばせています。そもそも僕が汗っかきというのもあるので、汗をかいたときにサッと拭けるものがほしいと思ったのと、憧れていた先輩がいつも手ぬぐいを持っていて、単純にそれがファッションの一部としてかっこいいと思ったのがきっかけです。
茶の湯にまつわる活動をする中で、「見立て文化」という切り口が面白いと思っていて、手ぬぐいも一見ただの布ですが、違う見方をすれば何でも包める袋にもなる、汚れをふき取る布にもなる、引っ掛けて何かを引っ張る道具にもなる。解釈の仕方や使い方次第で何にでもなれるというのが、モノというか存在として面白いと思っています。
あと、茶道の所作の中で「清める」という動作があります。そもそも茶道のお点前ではすでに綺麗な状態の道具を改めて客人の前で清めて使うのですが、つまり綺麗な見た目や外見だけではなく、清めるというその所作の中に込められた、道具に対する敬意や心を清めるという一連の行為が美しいなと思っています。
自分の穢れている部分を綺麗にするなどの「清さ」を保つことが日本的な感覚だと思っているので、それを忘れないようにしたいという想いも手ぬぐいを持つことに込められています。
20∼30枚は持っているという手ぬぐい。「デジタルガジェットは機能性で優劣が付きますが、こういうなんでもないものは自分の好みや趣味趣向が反映しやすく、愛着も湧きますね」
僕はもともとファッション業界にいたのですが、手ぬぐいは、持ち運びやすさ、気軽さ、手軽さとは別に、ひとつのファッションアイテムとしても使えるなと思っています。
特に手ぬぐいは吸水性に優れているとか個々に機能性の差はあまりありません。なので、好きな書道家が描いた書が載っているとか、好みのグラフィックデザインが載っているとか、フィーリングで選んでいます。自分のフィーリングに合ったものを見つけたときは気持ちが上がりますし、日々自分の“好き”を確認しながら身に着けることも大事だと思っています。
手ぬぐいに見る変容性の大切さ
手ぬぐい自体にテクノロジーや自分の生活が180度変わるようなサプライズはないですが、自分の考え方や好きな用途に合わせて何にでも変容するものは他になかなかないと思います。現代のモノは、機能自体は便利なのですが、「それはそれ用に使う」と決まっている気がします。なので、敢えて使い方が決まっていないモノをどう使うかというところの創造性を楽しんでいます。自分でそのモノの価値を決めるというと大げさかもしれませんが、そこからまた新しい発見を生むような“トレーニング”にも繋がるのではないかと思っています。
便利なモノだったらマニュアルで読んだままの使い方、むしろマニュアル通りに使いこなせるかということに注力しますよね。でも逆によく分からないモノを自分で使い方を考えたり、変えたり、新しい使い方を発見したりすることが、また次の新しいライフスタイルに繋がるのではと思います。
LIFESTYLE RULE.03
花をいける
僕が今の茶の湯をテーマにした活動をするきっかけは、いけ花との出合いでした。
華道家をしている先輩のいけこみに参加したことが僕といけ花との出合いなのですが、それまでは花もほとんど触ったことがないし、生花店に行ったこともほとんどなかったです。ですが、いけ花を通して花に触れていくうちに次第に花自体が好きになり、すごく豪華なものではなくとも一輪の花を引き算で構築していく余白的な美しさや、自分の美意識のようなものを花に投影し作品にするいけ花という文化に夢中になっていきました。
いけ花は、西洋のフラワーアレンジメントと違い、量ではなく、たとえ一輪の花しかなくても己の美意識や哲学をどう表現していくかという文化です。引き算の美しさともいわれます。何でもかんでも足していくのではなく、引くためには何を一番大切にしなくてはいけないか、それに対しどう美しいと思うか。自分の中の美しさの基準、大切にしているものが反映されるので、これが好きと思う感性がないとひとつ(一輪)に絞れません。もちろん一度でも切り落としてしまったら元には戻せません。「足す」でも「切る」でもなく、いかに要素を絞っていくかが肝心になってきます。いけ花をすることが今現在の自分自身を映している気がします。
昔も今も自分を見つめるという行為は、古い・新しいという基準ではなく、ひとつの大切な行為としてあるべきだと思います。それが自分の中ではいけ花でした。
コップや空き瓶でもいい。いけ花は“身近にできる日本文化”
植物や花に触れる行為は他にもたくさんあります。例えば造園やガーデニングなどはつくり始めたタイミングがスタート地点であって、そこから10年20年もしくは100年先かけてどうつくり上げるかという視点を持っています。しかしいけ花は、今ここにある美しさや季節の花をどう表現するかという「刹那の感性」を大事にしている点に僕は惹かれました。
高価な花や花器でなくてもいいんです。自分の家にあるコップや空き瓶に花を一輪いけるだけでも立派ないけ花です。身近にある、身近にできる日本の文化であることもいけ花の面白さだと思います。
「自分の中で『何がどう美しいのか』の基準や美意識をきちんと把握し言語化しながら生きていくことが豊かな暮らしに繋がるのではと思います」と宇野さん
いけ花はもともと茶室の床の間に花を添える(いける)ことから始まった文化です。茶の湯が「総合芸術」といわれているのは、お茶をはじめ、書、陶器、着物、和菓子、懐石料理などさまざまな日本文化の要素が詰まっているから。その中のひとつとして花があります。僕が日本の文化や美しさに触れた最初のきっかけが花なので、いけ花が持っている可能性や美しさが日本人だけでなく、世界の人にどう伝えていけるか考えながら作品をつくったりパフォーマンスを考えたりしています。なので、別のジャンルのアーティストといけ花というテーマで取り組みをする場をもっとつくっていきたいですね。