古山正裕
私のライフスタイルルール
古山正裕
FUTURE GATEWAYに集う、先進的な生活を送る仲間たち「越境走者=t'runner(ランナー)」。当欄ではそんなt'runnerたちのライフスタイルのリアルに迫ります。
未来社会に向けたさまざまなアクションやライフスタイルを提唱するt'runnerの先進性は日々の暮らしの中でいかに常態化しているのか?を“ライフスタイルルール”として伺う当シリーズ。今回は、言語に囚われない視覚や聴覚、触覚の感覚コミュニケーションを模索する古山正裕が登場。
FUTURE GATEWAYでは、「言語化しにくいものを“カタチ”として他者と共有するには」を“越境テーマ”として「ことばのほぐし」プロジェクトを牽引する古山のライフスタイルルールとは?
古山正裕(ふるやま・まさひろ)/1991年千葉県長南町生まれ。学生時代の留学生寮コミュニティの運営に携わったことがきっかけで『多国籍医療』をテーマとしたプロジェクト(HELP YOU PROJECT)を立ち上げ、コミュニケーション設計やアプリ開発、共創プロジェクトに取り組む。普段は会社員として、事業会社でインサイドセールスに携わる。
古山正裕のパーソナルインタビュー[MY PERSPECTIVE]はコチラ
t'runner古山正裕のライフスタイルルール
- LIFESTYLE RULE.01
- 生き物と暮らす
- LIFESTYLE RULE.02
- お弁当を通じたコミュニケーション
- LIFESTYLE RULE.03
- アイデアは“手書き”で残す
- LIFESTYLE RULE.04
- アーティストと直接コミュニケーションして作品を集める
LIFESTYLE RULE.01
生き物と暮らす
大学時代にメダカなど生物の研究をしていた影響もあり、今もメダカを飼っています。もともと幼少期から生き物が大好きで、実家でネコや烏骨鶏、ウシガエル、カメなどいろいろ飼っていました。自分が生まれる前にはポニーなども飼っていたそうです。そんな親からの影響もあって自然に生き物が好きになっていたと思います。
毎日朝起きたらメダカの餌やりをして、そのまま仕事に向かいます。
餌は上から蒔くのですが、朝起きたら気が付いたらすでにむこうから寄ってきているような感じで、愛着が沸きますね。それがもう自分の中でルーティン化しています。
眺めているとメダカにも個性があって、大きい雄が小さい雄に対して喧嘩をしている時もあれば、なぜか求愛行動していたりとか。いろいろ面白いです。
ワンちゃんだと散歩に行かないといけないとかありますけど、魚は極端な話、一週間家を不在にしていても大丈夫な場合もあるので、飼いやすいですね。特にメダカはふつうの水道水でも大丈夫だったりと、とても飼いやすいので、皆さんにもおすすめです。
今後は猫ちゃんワンちゃんも飼いたいとは思っていますけど。
もともと研究材料であったメダカを自宅で飼育するようになったという。以後盛んに繁殖し、今では水槽以外にベランダなどでも飼育している。
言葉を発さないからこそ「くみ取る」
自分のライフスタイルの1つとして、生き物と暮らすというのは、自分自身の向上心じゃないですけど、気持ちが上がります。仕事から疲れて帰ってきても、真っ暗ではなく、(水槽に)照明が当たっていて、水草もあったりして、癒し効果もあると思うんですよね。
メダカの動き方もそんなに速くなく、ゆっくりなので、焚火を見るような感覚です。
生き物ってもちろん喋らない、言語を発さないですよね。でも自分の場合、メダカと向き合った時に「何を考えているんだろう」と感じ取ることがライフスタイル上でも大切だと思っています。こういうしぐさをしているからお腹が空いているんじゃないかな、とか怒りっぽくなっているんじゃないかなとか。話さないからこそくみ取ることを毎日しています。
今の自宅ではその対象がメダカですけど、実家に帰ればネコなどもいて、ネコであれば鳴くので、その声の大きさだったり動き方などを見ながらくみ取ることを大切にしています。
LIFESTYLE RULE.02
お弁当を通じたコミュニケーション
お弁当をはじめ食べるものはなるべく手作りしたいと思っています。それにあたってどのような弁当箱に入れてこうかなってなった時に、一生使える弁当箱が欲しいなと思っていて、いろいろ探してわっぱに決めました。本体が杉、ふたが桐でできているこのわっぱの弁当箱は新潟県で作られたもので、ずっと愛用しています。熱いもの、例えばごはんとか入れてもべちゃべちゃならないので食べやすいし持ち運びにも便利です。
ご飯を手作りにしたい理由は、健康面の配慮もありますが、「包丁を入れる」とか「炒める」という行為そのものが手触り感があって、それもまた非言語的かも?という感覚もあって、自分の活動や創作にも影響していますね。
こういった感覚って、基本繰り返されて醸成されていくものだと思うんですね。そしてまた違うモノを見つけたいとか違うモノをつくりたいとか、そういったところで創意工夫が培われて、先進的なライフスタイルになっているかと思います。
もともとはそれほど弁当箱自体に興味はなかったのですが、このわっぱは、光の当たり具合で色が違ったりとか、色褪せたりちょっとした傷が「味」として出てきたりするので、そういうところでいつの間にかわっぱいいな、木のものいいなとかそういうふうに自然と自分の中に染み渡っていっていますね。
個体差のあるわっぱという弁当箱で、なお手作りのお弁当だと既成でつくられたものよりも自分たちでつくったものを召し上がるという感覚をより実感できるなと思います。自然に還るみたいな感覚ですかね。
お弁当づくりも”非言語コミュニケーション”のひとつ?
また、お弁当づくりは、いわば「絵づくり」にも似ていると思っていて、さらに大きく解釈すれば、言語の1つとも言えるかもしれません。少なくとも完成した状態のお弁当は何かしらを表現していると思います。
最近はもっぱら妻につくってもらっているのですが、まず朝につくったお弁当を渡されて、お昼にそれを開けて・見て・食べて―――という時点で立派なコミュニケーションですよね。「今日はどういうお弁当だろう?」と想いを馳せるのも楽しみなので、自分はあえてお昼に開ける瞬間まで中身は見ないようにしています。
あと、お弁当から妻のご機嫌も察したりします(笑)。本当に、少しけんかをしてしまった時期のお弁当はやっぱり少しラフになっていました。そこも面白い…と言ったら怒られるかもですが、それもまたコミュニケーションですよね。相手の表情がお弁当を通して分かったりしますね。
なので、お弁当でも絵画でも音楽でもどこまでが言語で非言語か境界が難しいですけど、いろいろなツールを介してコミュニケーションになっていきますよね。
LIFESTYLE RULE.03
アイデアは“手書き”で残す
デジタル化が当たり前の時代ですから、アイデアをスマホやパソコンに書いて残すことも当たり前のことと思います。でも自分は自分の考えを整理する作業としても「手で書くこと」にこだわっています。かつて予備校の先生が「書くという行為は、考えと観察力が宿る」と言っていたことが印象に残っていて、以来自分の考えを形にするときに、手で書く、紙に書くということを心掛けています。
議事録のときなどはパソコンでのタイプになったりしますが、新しいアイデアを発想させるとか違うものを生み出すような時は、シャーペンや鉛筆を使って紙に書き出すようにしています。
デジタルが先進的、アナログが先進的とかではなく、自分の中でそれぞれの思考をどう分類するかの使い分けかなと思っています。
LIFESTYLE RULE.04
アーティストと直接コミュニケーションして作品を集める
たまたまSNSで見つけたのがきっかけで、直接コンタクトを取ってAndreasさんというスウェーデンの作家の作品を購入したのがはじまりです。
『connecting everything』というタイトルで、例えば左下(下の画像を参照)は「手」を描いているのが誰にも分かりますよね。でも言語だと日本では「手」、英語だと「Hand」と言う。言語は違うのに、この絵では一見しただけでそれが何であるかが認識できますよね。この点に惹かれて購入に至りました。
SNSでのコミュニケーション上では「これは最後の1個でこれ以上つくらない」と言っていたので、より欲しくなったり、「額縁もオリジナルでつくっている」と言っていたので額縁とセットで購入しました。これも直接コミュニケーションを取ってこそ知りえた情報だったかもしれません。
オンラインストアでも簡単に買える時代ですが、せっかくならどういう経緯でできたのかとか、なぜこれをつくろうと思ったのかなども聞いたりコミュニケーションを取って、購入するまでのプロセスを大事にしています。
相手は英語などでコミュニケーションを取ってくる中で、たまに絵文字やスタンプなどの非言語でコミュニケーションをとってくることがありました。「OK」というスタンプだったり顔の絵文字だったり。でもそこだけでも分かる。このような言葉を使わないコミュニケーションの多様性はある意味先進的だと思います。
そういうことを「ことばのほぐし」プロジェクトでもやっていきたいですね。
自分の「けじめ」の映し鏡として
もう1つがSebastianさんというアメリカのアーティストの作品です。タイトルは『Where All Ideas Belong』。直訳すると「すべてのアイデアがある場所」。これはアイデアは手のところにあるということを表している絵で、伝えたいことは先ほどの手帳の話のように、書くという行為と似ていると思っています。なので自分の中でその行為を大切にしたいとリマインドする意味でも購入しました。
紹介した『connecting everything』と『Where All Ideas Belong』。自分の矜持とも重なるこの2つの作品を一生大切にしていきたいです。
部屋を彩るためにアート作品を購入するという動機ももちろんありますが、自分の場合は自分のプロジェクトや自分が今後こうしていきたいというある種の「けじめ」として、自宅に飾っているというのがあります。
シンボルの捉え方をもっとシームレスに
これ何に見えます?(絵の右下を指して)
リンゴですよね。でも色が違ったらまた別のものに見えるのかなとか。手に見えるものが、もう少し長くなると花とか草のシルエットに見えたりとか。シンボルの捉え方って難しいなと思いながらもこの絵を見ながら自分の活動や創作の参考にしています。
作品購入までのやりとり自体もそうなのですが、やりとりの中での絵文字や顔文字についてよく考えます。例えば自分が思うシンボルが相手に伝わっている場合とそうでない場合があるので、相手によって変えています。絵文字をいっぱい使う人であれば自分も絵文字を使いますし、ほかにも句読点を使わない人、感嘆符「!」を使う人、など相手の調子をくみ取りながらコミュニケーションすることを大事にしています。
ただ、使い分けはしますが、タイミングやいつ誰に使うのかは配慮します。
そのように、例えば自分は絵文字を使うけど、絵文字を使わない人とコミュニケーションを取る時に、絵文字に相当する語尾だったり言い回しをアレンジする方法を見出していきたいと思っています。
絵文字でやりとりする場合でも、👍と👌では捉え方が違うと思うんですよね。もしかしたら相手の文化圏ではタブーや禁句かもしれないような表現を自動で変換できたらなと思うんですよね。普段の自分のコミュニケーション方法のまま相手に齟齬のない伝え方ができたらいいですよね。
一方、「思いやり」過ぎてしまうのもまた自分が疲弊してしまったり、自分のスタイルを崩してしまうきらいもあります。無意識に相手の調子や文体が“伝染”している時もありますが、意識的に相手の調子に合わせるほうが、相手も「あ、自分のことをわかってくれているな。考えてくれているな」と親近感を抱いてくれやすいのでコミュニケーションが円滑になることが多いですね。
このあたりは前述した生き物の話と同じで、やはり「くみ取ること」が大事ですよね。今どういう感情かなとか大丈夫かな、とかそういう考える力はもしかしたら生き物との暮らしを通じて身に付いたのかもしれませんね。
自分が活動や創作で一番大事にしていることは「つくったものが伝わるかどうか」。あるテーマを形にしてみて、それが日本語ではない誰かと理解し合えることがわたしの最終目標。例えば医療というテーマの中で「お腹が痛い」という言葉の表現や痛みという表現が、ズキズキやズキンズキンでも違うし、いろんな表現の多様性があるので、そこをうまく形に表して、日本語話者、非日本語話者で理解し合えたら理想的で自分のゴールです。