産後ケアや教育、保育まで。社会の選択肢に多様性を生み出すために 龍崎翔子
ホテルプロデューサー 龍崎翔子
2021年より始動した「FUTURE GATEWAY」は、KDDI総合研究所がこれまで培ってきた先端技術を生かしながら、新しいライフスタイルを実践する人々と共に、これからのスタンダードをつくっていくための共創イニシアチブです。当シリーズ[MY PERSPECTIVE]では、FUTURE GATEWAYに集いながらあらゆる分野で未来をつくる活動をしている方々と一緒に未来社会を考えていきたいと思います。
今回登場するのは、これまで京都や大阪、北海道などでホテルを運営してきたホテルプロデューサーの龍崎翔子。コロナの影響を大きく受けるホテル業界でこの一年どのようなことを感じてきたのか。また、そんな一年を経て少しずつ視点が変わってきたという彼女が現在注目している事業とはどんな分野なのでしょうか。
普段は京都に住んでいる彼女に、親交の深いホテル経営者・本間貴裕さん(現SANUファウンダー兼ブランドディレクター)の立ち上げた東京・兜町のホテル「K5」の客室をお借りしてインタビューしました。
龍崎翔子/L&G GLOBAL BUSINESS, Inc.代表、CHILLNN, Inc.代表、ホテルプロデューサー1996年生まれ。2015年にL&G GLOBAL BUSINESS, Inc.を設立後、2016年に「HOTEL SHE, KYOTO」、2017年に「HOTEL SHE, OSAKA」を開業したほか、「THE RYOKAN TOKYO」「HOTEL KUMOI」の運営も手がける。2020年にはホテル予約システムのための新会社CHILLNN, Inc.を本格始動。また、2020年9月に一般社団法人Intellectual Inovationsと共同で、次世代観光人材育成のためのtourism academy "SOMEWHERE"を設立し、観光業の新たな可能性に挑戦している。
人生のあり方を変えうる宿泊体験
- FG:
日本各地でホテルを経営されてきた龍崎さんですが、現在どんな考えを持って宿泊事業をされているのかお伺いしたいです。
- 龍崎:
宿泊施設の面白さって、パブリック性とプライベート性が混在している居住空間であり、衣食住を全部包括していることだと思うんです。誰にも干渉されない閉じたお部屋の中にも関わらず、ホテル側の思想を織り込むことができるんですよね。私たちは「ライフスタイルの試着」という言葉をよく使うんですけど、ゲストに対しての生活提案が可能な場所なんです。でも、最近は、一泊という短い時間だと限界があるなとも感じていて。ホテルに宿泊している時間って、人生の一部分をお預かりしている時間だと思うんです。なのでもっと長い間宿泊していただくことで、時期によってはゲストの人生のあり方を、その人にとってもっと良い方に導いていくことができるんじゃないかと思っています。
- FG:
ホテルに泊まることをきっかけに、人生のあり方も変わっていくんですね。具体的に考えているアイディアがあればお伺いしたいです。
- 龍崎:
私たちの会社は「選択肢を増やす」ことを理念としているので、「自分が消費者だったら」の視点から欲しいものをつくることが根底にあります。ここ最近考えているのは「産後ケア施設」です。将来自分が出産をしたとき、親に頼るか自力で頑張るかの二択しかないって結構大変だと思ったんですよね。それに「人生のどの時期をホテルがお預かりするのか」を考えたとき、出産直後という大きな変化の時期に、周りも含めて同じ方向を向いていけるように外部からサポートできればと思ったんです。
- FG:
産後ケア施設は、日本ではまだあまり馴染みのない取り組みですよね。
- 龍崎:
日本以外の東アジア圏では普及率が高まっているらしくて。決して価格が安いわけではないんですが、もともとの出産資金に産後ケア施設での宿泊費を想定する考え方なんです。日本国内では一箇所だけ有名なところがあるんですけど、他はほとんどない状態。まだまだ商品として定義されていないんですよね。
出産・保育において、親が諦めなくてもいい世の中に
- FG:
そう考えると、産後ケア施設以外にも、滞在することで人生のあり方に影響を与えられる場所はたくさんありそうですね。
- 龍崎:
たとえば、保育園をやりたいという気持ちもあります。産後ケア施設もそうですが、「もし自分が親になったら」という状況を考えたとき、子どもを産み育てるための社会の仕組みも成り立っていないと思ったんです。保育の問題ってかなりシビアですよね。保育園の数は足りていないし、病児保育や家政婦に関してもニーズに合うものがなくて、せっかく好きでやっていた仕事を諦めてしまう方も多くいる。外部のサポートを使うと「手を抜いてる」って思われちゃう社会の雰囲気もいまだにありますよね。もっとフレキシブルに子どもを預けることができる場所があればいいのになと思っています。
- FG:
旅行へ行くにしても、小さいお子さんがいることで選択肢が限られてしまうことがあると思います。
- 龍崎:
以前、私たちのホテルに来てくださったゲストで、中国からお子さんと一緒に来日したネイリストの方がいらっしゃいました。ネイルアートの展示会を観に来られたのですが、その会場がお子さんの入場がNGだったんです。私たちのホテルでも預かることはできなくて、一時保育をしてくれる託児所をスタッフ総出で探したんですけど、全然見つからず。住民票がないとダメだったり、当日の登録はダメだったりと、結局展示会に行けずに中国に帰られたんです。これはすごく印象にのこっているエピソードなんですけど、近しいことはいくらでも起こっていると思っていて。子どもがいるからって諦めてしまう状況を減らして、もっとヘルシーにしていきたいんです。
- FG:
今まで犠牲にしていたことを、「頼れる場所」があることによって解消できるかもしれませんよね。
- 龍崎:
そうなんです。昔は近所の人が子どもを預かってくれる文化があったりもしたけど、今は孤独な状態で子育てをしている方が多いですよね。オンラインが発達してきている時代だし、かつ家族の定義が揺らいできているからこそ、ある意味でその文化を取り戻したいです。たとえば、最近一緒に仕事をしている男性が、シングルマザーとシェアハウスをしているらしくてめっちゃいいなと思いました。子連れの方が友人とシェアハウスできるような場所があってもいいですもんね。気軽に手伝ってもらえる周りとの関係が築けていると、子どもを預けて美術館に行ったり、敷居の高いレストランに行ったりすることだってできちゃう。自分の生活や日々のインプットも諦めたくないですよね。
- FG:
そう考えると、宿泊施設だからこそできる保育問題へのアプローチがありそうですね。
- 龍崎:
数十年前にはベビーホテルも結構あったみたいなんです。でも、ネガティブな部分もあったみたいで、解決するべき課題はたくさんあると思います。たとえば、子どもを預かる際には安心安全が最優先なので、そういう部分で通信技術を活用すべきですよね。幼児の異変にいち早く気づくためのデバイスもありますから。
誰もが持っている痛みを抱え込んでしまわないように
- FG:
その流れでいうと、成長過程における教育という課題もあるのではないでしょうか。
- 龍崎:
教育の側面もそうですが、アフタースクールが結構大事だと思っています。学校の友達だけと関わっていると、世界がそこで閉じちゃうじゃないですか。小学生の頃、歴史がすごく好きだったんですけど、学校で織田信長の話を一緒にできる友達がいなくて(笑)。でも、塾で出会えたので、それが救いになったことがありました。良質なコミュニティと教育を提供できる場所は大事だなと思います。たとえば、京都には子どもが興味を持ったものをとことん研究させてくれる塾があるんです。親や学校ではできない、子どもの好奇心を伸ばしてあげられるような外部の場所や人が増えていくといいなと思います。
- FG:
最近はオンラインでの教育も増えてきていますが、オフラインである宿泊との掛け合わせをどのように考えていますか?
- 龍崎:
普段はオンラインで関係性をつくって、宿泊の際にはリアルな体験ができるようなアカデミックリゾートを作りたいと思ったときがありました。学習機会を提供しながら、親も子も過ごせるような宿泊施設が全国各所にインフラのような形で存在すると良いなと思ったんです。地縁的コミュニティに紐づく教育のあり方を是正できるような場所を作りたいですね。
- FG:
龍崎さんのお話を聞いていて、自分にある制限を取り払うような選択肢を持って、どんどん移行していけるような社会基盤を設計していくことが次のチャレンジになってくると思いました。そのような社会に向けて、2030年にはどんな未来になっていてほしいですか?
- 龍崎:
子どもを育てることが親の選択肢を減らさない状態であってほしいし、それを前提に、子どもを育てることについての選択肢がもっと広がってほしいと思います。そこに向かって私たちはまず産後ケア施設を作ります。今の社会においては、誰もが持っている痛みを抱え込んで閉じてしまうことが多いと思うんです。育児の問題も、「家庭問題」として自分たちだけで閉じてしまうから、その声が世の中に出てこない。そこを捉えることがまずは必要で、そのためには通信技術も活用していけると思います。誰が抱えているどんな痛みを解決するのかによって、やることは変わってきそうだなと思っています。