モビリティ事業経営とアルペンスキーヤー、ふたつの生活が混ざり合い生まれる 青木大和
EXx Inc CEO 青木大和
2021年より始動した「FUTURE GATEWAY」は、KDDI総合研究所がこれまで培ってきた先端技術を生かしながら、新しいライフスタイルを実践する人々とともに、これからのスタンダードをつくっていくための共創イニシアチブです。当シリーズ[MY PERSPECTIVE]では、FUTURE GATEWAYに集いながらあらゆる分野で未来をつくる活動をしている方々と一緒に未来社会を考えていきたいと思います。
今回登場するのは、モビリティ事業を経営する青木大和。2022年北京冬季パラリンピックへの出場を目指したアルペンスキーヤーという顔も持つ彼ですが、なぜモビリティ事業とアルペンスキーという2つのライフスタイルを続けるのか。そこに至るまでのバックグラウンドと、そこから見えてくる未来の生活について話を聞きました。
青木大和:1994年、東京都出身。起業家。パラスキーヤー(日本代表強化指定選手)。EXx Inc CEO。 -Mobility for Possibility- を掲げ、社会の公器となる事業をつくるモビリティスタートアップを経営。一方で、 2022年北京冬季パラリンピックへの出場を目指すアルペンスキーヤーでもある。
自分にしかできないことで世界に変化を
- FG:
経営者とスポーツ選手というふたつの顔を持つ青木さんですが、なぜいまのライフスタイルに至ったのか。まずはモビリティ事業の経営に至るまでの話を伺えますか?
- 青木:
2014年にウェブサイトが炎上してしまったんです。そこから大学に行くのも精神的にきつくなり、ずっと部屋に引きこもっていました。でも、当時はいろんな世代の人がいるシェアハウスに住んでいて、そこのみんながすごく心配してくれたんです。他の友人もたくさん家に来て励ましてくれたりして。そうやって回復していくなかで「今度は同世代のシェアハウスをやろうよ」と友人に声をかけられたのをきっかけに、自分たちでアオイエというシェアハウスを立ち上げました。
アオイエでは週に二回くらいイベントをやっていたんですけど、結局半年で5000人くらい家に来てくれたんです。東京の友人たちが入り浸るようになって、「俺も住みたい」っていう人も増えて。でもキャパシティ的に一つの家では無理だったので、また別の家を借りて。そうやってずっと個人でやってたんですけど、三軒目くらいで管理しきれなくなったので法人化しました。そのあとせっかくだから拡大していきたいなと思って、京都や大阪にもシェアハウスをつくりました。会社経営というよりは、気ままにやっていたら結果的に17軒くらいになっていたんです(笑)。
- FG:
すごい!最初はシェアハウスの経営をしていたと。
- 青木:
そうです。そこでは学生のコミュニティを作ることができて面白かったんですけど、一方で「僕自身がずっと続けていくことでもないな」とも思うようになりました。炎上後に、みんなに背中を押されて作ったシェアハウスで、またそこにいる人たちに刺激を受けて、僕ももう一度自分の名前で挑戦したいと思ったんです。
- FG:
そこからモビリティ事業に行き着いた経緯はどのようなものだったのですか?
- 青木:
少し話がずれるんですけど、炎上の一年後に階段から転落して脊髄を損傷してしまったんです。健康体から、突然生活が不自由になってしまって。足を悪くしてしまったので、特に移動の不便さをすごく感じていました。でも、障がい者になったからといって次の事業として福祉支援をやるのはあまりに安直であるし、失礼だなと思って。障がいを負ったけど、それでも世界に大きな変化を起こせるようなマーケットで勝負したかったんですね。加えて自分が当事者として変化を生み出せる分野を考えたときに、移動の不便さを解消できるモビリティという領域に興味が湧きました。
それで、最初はアオイエの新規事業として始めたんですが、去年会社を切り分けてEXx Inc.という会社をつくりました。電動キックボードが世に出てきた頃で、僕みたいな足が悪い人にとってもすごく便利で感動したんです。そのタイミングで後輩が電動キックボードの会社をやっていたので、「一緒にやらないか」と声をかけて事業を本格化しました。
- FG:
電動キックボード事業の前には、マイクロバスを使った事業もされていましたよね?
- 青木:
そうなんです。もともと、実家にキャンピングカーがあったのと、父がリモートで仕事をしていたことから、幼い頃からいろんな場所へ行きました。学校も普通に休んだりして、日中は父は車内で仕事、そのあいだ僕は遊んでっていう暮らしだったんです。当時はまだ珍しかったけど、アメリカでのバンライフの流れもあって、今となっては家自体が固定されている必要はないという声が社会でも少しずつ広がっていますよね。自動運転が広まると、今以上に移動が自由になる未来が想定されます。実際にそんな未来が近づいていたり、僕が幼少期をそうやって過ごしていた背景が重なって、「バスハウス」というマイクロバスの滞在施設をつくっていました。移動にまつわることをしていきたいのと、自分にしかできないことをやっていきたい気持ちが根底にあるんだと思います。
二足のわらじ、だからこその意義
- FG:
もう一つの顔である、スポーツ選手としてパラリンピックを目指すに至った経緯も教えていただけますか?
- 青木:
もともと3歳からスキーをやっていて、高校までアルペンスキー部にいました。でも実力的に、これで食べていくのは難しいなとも思っていたんです。それで大学入って、起業して、でも怪我しちゃって。そのリハビリが落ち着いたくらいで、またスキーに行くようになったんです。最初、お医者さんには止められたんですけどね(笑)。そこで滑っている動画を仲のいい後輩に送ったら「現役よりうまくないですか?!」なんて言われて。冗談半分だったと思うんですけど、それでもう一回スキーに挑戦しようと思うようになりました。
当時、自分のなかで大きな変化がいくつかありました。一つは、年齢が上がるほど夢を追うのが恥ずかしくなる社会の空気感を、自分のバックグラウンドだからこそ打破できるんじゃないかという想い。もう一つが、入院中に看護師さんから「青木くんがいるだけで病院の空気が変わった」って言ってもらえたこと。自分のキャラクターが、自分にとっての強みになるって再認識できた言葉でした。半身不随でいろんな生きづらさを抱えていても、大きい目標に向かって挑戦していく。スポーツは一番の席が一つしかないので、シンプルでわかりやすいですよね。そういうメッセージの伝え方もあると考えて、中高時代には考えもしなかった世界一に向けて、また別の山の登り方をしていきたいなと思ったんです。そこからほとんど誰にも言わずにトレーニングを始めて、昨年の夏に公にパラリンピックの世界に挑戦することを発表しました。
- FG:
スポーツ選手としての顔と経営者としての顔のふたつを持つ青木さんですが、どのように時間を使い分けているのでしょうか?
- 青木:
まず、両方やっていることに意義があると思っています。どっちつかずになることが一番ダメだと思っているので。生活としては、トレーニングを毎日しているので、体の回復のためにも8時間は絶対寝るようにしています。仕事が間に合わないから徹夜する、みたいなことは絶対にしません。トレーナーさんとは週に4回、朝にトレーニングをして、そのあと準備をして出勤。18時くらいまで仕事をして、家に帰ります。寝る前の一時間は、デバイスに触らないようにして、本を読んだり。食に関しては量も内容も決められているので、毎日マシーンのように食べています(笑)。
- FG:
遠征など、両立が大変な時期はどうしているのですか?
- 青木:
社内に対して無理なことは全部伝えているので、色々調整してもらっていますね。会社のみんなに助けてもらっているのは本当に感じます。試合のシーズンや遠征期間はほとんど海外にいるので、時差はありつつも練習や試合の合間に仕事をしています。標高の高い場所で滑るので毎回ゴンドラに乗るんですけど、登るときはスキー、降りるときは仕事へと気持ちの切り替えをするんです。ゴンドラのなかでも電波があるので、スキー後の下山中に連絡の返信をしたり、ホテルに帰ってすぐ仕事できるようにタスクの整理をしたりしています。
- FG:
想像以上に大変だと思うのですが、それでもふたつの生活を続けることにどんな意義があると思いますか?
- 青木:
会社にはずっと申し訳ないと思っていたんですけど、「申し訳ないと思うならやめたほうがいいですよ」って言われたことがあって。それは本当にありがたいなと思いましたね。スキーで結果を出すことが会社のために絶対なるので、信じてやるしかないって。そもそも、会社経営はアスリートに近いと思っています。長期戦だし、ストイックに反復学習して、筋トレのようにルーティン化して。コツコツやらないと大きなものは作れないじゃないですか。だけど、この一年でオンラインでの仕事が普及したのは、海外にいても仕事をしたい僕には良かったですね。アルプスのマッターホルンにいるのに、ゴンドラで下山しながらミーティングにでたこともありました(笑)。
あらゆる業種とモビリティ領域を掛け合わせていく
- FG:
モビリティ事業に関しても聞きたいのですが、この数年で特に都市部では認知が進んだ気がします。現在の世の中をどう見ていますか?
- 青木:
現在のモビリティ領域はUberみたいな配車サービスがやっぱりマーケットとして大きいんですけど、僕たちももっとテクノロジーを活用したいと思っています。例えばGoogle Mapでは最短ルートこそ提案してくれるけど、そうではない“最適ルート”があると思うんです。たとえば、個人の情報を活用して、移動の途中にある好みのお店や飲食店を紹介することもできますよね。今後は自動運転によって車のなかでも仕事ができるようになるので、「5時間でいけるところを、8時間かかってもいいから美味しいものを食べながら行こう」みたいな生活が出てくると思うんです。
- FG:
あらゆる困難を乗り越えながらも、青木さんが挑み続けられるのはなぜなのでしょう?
- 青木:
一つ挙げるとすれば、家庭環境は大きいと思います。父親がもともと宇宙飛行士になりたくて、でも夢半ばで諦めてしまった。それでサラリーマンになったときに、僕が産まれた。そんなふうな夢追い人だったし、「学歴なんてどうでも良い、夢を追うことが人生で一番の喜びだ」って幼い頃からずっと聞かされてきたんです。異質を許容してもらえることで、「最悪なんとかなるだろう」と思えたことは大きかったですね。僕がスキーをもう一度やると言って、一番喜んでくれたのも父でした。
- FG:
では、最後に、モビリティ事業の拡大という点でどのような未来を見ているか、ぜひアイデアを聞きたいです。
- 青木:
僕はモビリティをOSのように考えているので、あらゆる業種との掛け算が可能だと思っていますし、そこに面白さや、やりがいを感じています。むしろ「モビリティだから、その領域の知見がないとダメだ」という考えを持たない外の方々と組んでいきたいし、雑談でいいからどんどん会話をしていきたいですね。そういうところから新しいアイディアや他の領域が生まれてくると思っています。あとは、やっぱり環境的な観点からも、モビリティを推進していきたいですね。車での移動って環境への影響が大きくて、それは自然との共存をしていかないとできないスキーをしているスキーヤーだからこそ考えていることだし、伝え続けたいと思います。